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Finland Aurora-Huntingの旅 2015/1/27~2015/2/1 [What reminds me.]

今回のFinland旅行の目的は、オーロラをこの目で見る事。 それだけが唯一の目的。
その他には何もない。 でも、オーロラは自然現象で、人がコントロールできるもの
ではない。 また、お金を払っても売ってもらえない。

一日目はRovaniemiで、宿泊したホテルの傍の大きな川添いが観察ポイント
ということで、夜の9時頃見に出かけた。 明かりがある所ではダメで、
出来るだけ暗い所を選ぶ。 でも結局は、その日は何も見ることが出来なかった。

二日目はRovaniemiを専用バスで出発。 北極圏のLaplandのSaariselkaに向かって、
約260kmの道を走る。 途中で一回のみ、ガソリンスタンドでバスは停車し、
トイレに行く。 目的地のSaariselkaに着くまでは用足しは出来ないので、
そのガソリンスタンドで必ず行くように指示された。

Saariselkaに到着した晩は、雪が降り、空は分厚い雲で覆われていた。 
宿泊したホテルは、その土地では一番大きそうな「リエコンリンナ・ホテル」。 
でも、泊まった部屋は、Bathroomのないshowerだけの部屋で、
大きさもこじんまりとしていた。

朝食のブッフェは、どこの国でもある水準の内容で、悪くはなかった。 
一番私の口に合ったのは、オートミールのおかゆ。 それを食べると、
心が落ち着く感じがした。

そのホテルのすぐ近くにも、旅行会社が推薦する、オーロラを見るポイント
があった。 ホテルの玄関を出て、左方向に行くと、すぐに道路に出くわす。 
ホテル前の道とその出くわす道路の交わる辺りの右側に教会があり、
その出くわした道路沿いを右方向に少し歩けば、道路をまたぐ陸橋がある。 
その陸橋を少し先に行けばその観察ポイントだということだったが、
道路沿いに街灯が点在していて、十分な暗さは確保できない場所だった。

その日も生憎の天気でオーロラ観測は全くダメだった。 前記の陸橋の近くに
1.2kmのそりのコースがあったので、真夜中にそのそりコースを徒歩で登り、
その上の小さな山の山頂近くまで行った。 高さは437mのカウニスバー山。 
より高い所なら、可能性はあるかなと思って登ってみたものの、
結局オーロラはダメだった。 その山を下る時に、どこでどう間違ったのか、
登ってきた道が分からず。 何度見ても一本道にしか見えなかった別の道を
降りることになった。 結局道に迷ったのではあるが、端から端まで歩いても
15分以内しかかからない小さな村故に、無事戻れた。

三日目は、あらかじめ申込みをしていたAurora-Hunting Busに乗り、
晩の8時~2時間のコースで、オーロラ探しに出かけた。

最初は昨夜登った村からすぐ近くのカウニスバー山だったと思う。 
でも、オーロラは見えそうにもないので、バスはより北の方向に向かって
走ってくれた。 30分位走ってくれただろうか。 後で地図で確認すると、
その地方の中心地イナリの近くの大きな湖のイナリ湖まで行ってくれた模様。 
湖は当然雪で覆われて表面は凍っていたので、その湖面の上に出て、
空を観測していた。

その内、確かに白い色のそれらしきオーロラのようなものが、
その空に何度か出現した。 ガイドの説明では、オーロラは大抵そのような
白い色のものが殆どとのこと。 ビデオなどで見たことのある、
あの美しい色つきのオーロラは、普通に見ることはできないという。
あのビデオで見るオーロラは、多大な時間と費用を使って、
苦労して撮ったものをつなぎ合わせた作品だという。

現地駐在の日本人のプロ・カメラマンの説明では、高感度のカメラで、
長い時間をかけてカメラで撮るもので、ビデオでは撮れないとのこと。 
私はYouTubeのビデオを見て、ビデオで撮れるというイメージを
していたものだから、そのカメラマンの説明を素直に呑み込むことが
出来なかった。 そのカメラマンによる即席の講習を受けたものの、
私のカメラではISO 1600にしても、残念乍ら何も映らなかった。 
勿論ビデオもその日は何の役にも立たなかった。

今回のオーロラ・ハンティングの旅行は33人の団体。 
中にはカナダのYellow Knifeで見ることが出来なかったので、
今回はここLaplandで再度挑戦という方もいたようだ。
私は初めてオーロラ鑑賞の困難さを認識させられたが、
そのリベンジでここに来られた方のコメントでは、ここで私も見たあの
「しょぼい」程度が、なんと△に近い○だとのこと。

人から間接的に聞いた他の人二人のお話では、
オーロラは色んな海外旅行の中で、「一番良かった」という方も
いるようだが、それらのお二人は「どの程度のオーロラ」を
見ることが出来たのか、私の直接のまずい経験からは、想像できない。 
私の忌憚のない所を言わせてもらえれば、「こんなお粗末なオーロラでは、
オーロラを見に来た価値が全くない」。 それが私の意見。 
でも他の方も同じ感想の様だった。 本当に、その日のその時の天候次第。
満天の星空の下ならば、素晴らしいオーロラに「遭遇」することが
出来るのかも?

目には白い色の動く筋にしか見えないものも、腕が良ければ、
青い色のものがカメラには映るという現実をその場で見せてもらった。
さて、四日目は、どうなのだろうか? 四日目は一人30ユーロで2時間の
現地募集のOptional ツアー。 3時間コースになると、値段がぐっと
上がって75ユーロ。 更に長い4時間ものもある様子。 
でも、時間が長ければ、必ず見れるというものでもない。
今夜8時からのツアーの結果は、この後に:

昨日に引き続き、この日は前日よりほんの少し良かった。 
何が良かったかと言うと、オーロラは、バスが到着するなり
目で見ることが出来た。 でもそれは、単なる白い筋でしかない。
前もってイメージしていた、あの美しい色付のものとは、
まったく違ったもの。でも、ガイドさんも同伴のカメラマンも、
それと現地駐在のお嬢さん達みんなが評価していたが、
私の脳裏にあるイメージのものとは、まったく別のもの。 
私の既成概念が目の前の現象をオーロラとは呼ぼうとしない。

しかし、真っ暗な中で、その白い筋に向けて試みにビデオで撮ってみたら、
後で見てみるとわずかに我がビデオに映っているではないか! 
前日は何の成果もなく空しく退散したことに比較すると、
この日は少し前進。

より費用の高い3時間のコースに行った人から聞いた話では、
「何も得るものがなかった」とのこと。 こちらはより安い費用で、
それなりに得るものがあったのだから、それらの単純比較では、
「まだまし」だった。 でも、本質的には、あの程度で
喜ばなければならなかったのであれば、いやはや、何とも言いようがない。












三十三間堂の次は「清水寺」、それと「三年坂」と「二年坂」 [What reminds me.]

京都を知らない日本人がいない様に、
「清水寺」を知らない人もいない。

京都を訪れたことのある人ならば、必ず一度は足を運ぶ「清水寺」。

その参道の様子を撮ったのがこれ(2015年4月中旬の撮影):

https://www.youtube.com/watch?v=1SQ6eoMRw3s

清水寺自体の情報はインタネットで検索できるので、
その写真集のURLを参考に:
https://images.search.yahoo.com/search/images;_ylt=AwrVnCAIGsdWyhkA.wJXNyoA;_ylu=X3oDMTByNWU4cGh1BGNvbG8DZ3ExBHBvcwMxBHZ0aWQDBHNlYwNzYw--?p=Kiyomizu+Temple&fr=hp-ddc-bd

清水を訪問した後、是非訪れて欲しいのが、「二年坂」と「三年坂」。
私は2015年の春に、初めて足を運びました:

https://www.youtube.com/watch?v=2qXiclW0-R0

初めて方には、その道が、ちょっと分かりにくいかも知れない。
清水の参道の下の部分が五条坂。 その上の部分が清水坂。
三年坂は五条坂と清水坂の合わせ目の所に北方向に下りの階段になっている。

その三年坂を北に歩むと、その先に二年坂に続いている。
人の好みは多様だけれど、人気のスポットだから、
一度は行かれることをお勧めする。

その辺りには着物の貸衣裳屋もあるので、
着物姿で散策するのもいいかも。


















Japanese forget anything so soon. [What reminds me.]

After the world war II, just because Japan was
defeated by Allied Powers, we were shouldered
with lots of great difficulties, and we were
forced to go through many hardships.

In all and every field of such as food, clothing
and shelter, the circumstances compelled us
Japanese to endure violent poverty. All men
and women of all ages got to be short of even
daily poor meal and malnutrition got widespread
in our entire country. It has been now a story
of long time ago.

To those who were born in the good time of postwar
when sudden growth could have been attained, it has
been no more than a simple story on the past history.

Those who were born soon after the world war who are
called as "baby boomer" now reaching the time of
retirement and they are just about to commence
the pension life. The elapse of time has an
inclination to work to get the past facts faded
out. Those facts that we were given the bad taste
bread with skim milk at school when we were just
elementary school boys and girls cannot come back
to our recollection unless we have some chance
to remind of them. Because of the bad nutrition,
boys were often making their sleeves shining
with a runny nose. But, such a story cannot be
reminded in our usual daily life.

We Japanese are too soon to become hot and
too soon to forget about it. On something we get
excited temporarily but its passion will be soon
lost in just a little while. We don't keep it
alive in our memory for a long time, but we
will be absorbed in next something very soon.
The fashion of "dakkochan" doll and the
enthusiasm for a "furafupu" - a plastic pipe ring
to make it roll around the waist - they are the
very old things of indeed many years ago.

On the other hand, among the visitors from abroad
on business, although the number of persons I made
company with was not so many, I find not a few of
them very good at keeping old things in memory.

Perhaps it might have been something so unusual
to them - that might be one of the causes for
that he could be keeping it in his memory for
such a real long time. But, I couldn't recall
what we had shared together in the distant past.
They remember well that I had taken them, for
example, to Osaka castle when they last visited
Osaka. They keep them in their memory which I
had completely forgotten. I don't believe
that they were much superior in the ability of
memorizing something, but they certainly
remember even such small things which do not
remain in our memory because they're just
nothing special to us Japanese.

Perhaps the difference whether to have or not
to have an impact which will work to retain
them in memory will be causing the difference
to keep or not to keep in memory. Just as they
were, we will be also remembering what gave us
some strong impression. In other words, suppose
we're in daily strong impression, if such
intensity will be something normal to us in
our daily life, its degree of intensity will
drop by being habitual to it, and it will be
no longer something rare or uncommon.

Namely, unless it could be something more
intense in its degree, they won't be kept
in the memory. To most of the people living
in the urban area where its life is always
full of stimulation or excitement, such
factor will not work as something stimulating,
when compared with the life in countryside.
So, if the visitors from the country short of
such stimulation come to Japan where filled
with such exciting something, it is natural
that they would find Japan very exciting.
As a result, such irregular experience could
be printed firmly in their memory.

Our case being filled with daily too many
surprises to happen one after another,
most of them won't remain in our memory.
That might be one of the reasons we remain
look younger on the appearance ?
I mean - abundance of excitement will work
to make you look young.

Have a wonderful day full of excitement !



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