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自己主張せずとも分かる人の価値 ブログトップ

自分という人間の価値 [自己主張せずとも分かる人の価値]

客観的に見て、「自分の価値」はどこにあるのだろうか、
とふと考えると、。。。。。? 思考停止になる自分がいる。

自分では、自己満足ながら、自分を多少は評価している自分がいる。

でも、具体的にその根拠や理由を説明せよと言われると、
イメージは脳裏を浮遊するが、
明確な言葉で具体的に表現できない自分がいる。

つまり、自分勝手な自己評価というものはそんな低いレベルのもので
「妄想」の域を出ないものかも知れない。

社会的な人間としては、自分が他人にどのように評価されているのか、
その辺が大事なことで、社会における「存在価値」や「存在理由」がないと、
そもそも評価の対象にもなれない。

社会の中で、人の為に何ができるか、どんな貢献が可能か、
その点を客観的に見てみると、何の役にも立てない自分がいるのを見る。

価値のあることで、「存在理由」を対外的に主張出来て、
そしてそれが対外的に認められて、始めて意味があること。
自分の一人よがりは、全く意味をなさない。

社会に貢献できなくても、人間であることの尊厳は人から侵されない。
しかし、できれば、いつの日か社会の役に立てる人間を目指したいと思う。

そうした自由は奪われない。













謙虚さを尊ぶ日本人 [自己主張せずとも分かる人の価値]

国家単位、民族単位で、日本民族を
他国の多様な民族と単純に比較した場合、
我々の一般的特徴として、真っ先に思い当たるのは、
日本人は「謙虚」であるという事だろう。

自己主張をする西洋人や他のアジア人との比較において、
日本人はとても「奥ゆかしい」。
自分のことを自分でほめることは、
恥ずべきことだと思っている。だから、
普通の日本人は「我が、我が」と
自己主張することを、極力避ける傾向がある。
どちらかと言うと、日本人全体が、
ひとつの均質的な集合体みたいなもので、
その歴史的島国根性を背景に、
お互いにお互いが同質であることに安住感を持ち、
異質なものは、極力排除しようとする。

だから、群衆の中で、一人だけ目立つことが許されず、
仲間と同じ色の羽を持つ存在であることを面前に
打ち出すためには、自分や自分に属するものが、
他の人と同類もしくは類似でなければならず、
自分を抑えて「謙虚」であることで、
仲間社会に受け入れられる。

元来、日本人の間には人類としての異質や多様性はないので、
異質なものを鷹揚に受け入れるという寛大さはない。
毛色が同じであってもなくても、日本人以外の
異国人との付き合いや接触が殆ど皆無だったため、
異国の人との交流の為の知恵や才覚も発達しなかった。
仲間からの突き上げを避ける為に、ただただ自分が
群衆の中で目立たないようにすることに腐心し、
「謙虚であること」で保身してきた。

自分に誇れることがあっても、自分の家族や親類縁者に
誇れる者がいても、決して自分の口からは、
自慢げに話すことはない。
それに反して、西洋人は誰それのことを誇りに思うとか、
自慢に思うとか、そういうことをよく口にするが、
日本人は西洋人のそれとは正反対のように思うし、
中国人の間に見られるような、強烈な自己主張をする
という事もない。
むしろ、自己主張をしないが故に受け入れられるのが日本社会。
多分、中国社会では、自己主張をしなければ,
生きていけないのではないかと思われる。
短期の滞在中に、それを裏付ける実例を目の当たりにした。
彼らの間では、しょっちゅうトラブルがあり、
その解決の為には、人前で大声を出して怒鳴りあうことも
珍しいことではなさそうだ。 警官同志でも、
なんと白昼公然と制服を着たままでそれをやる位だから。
それだけ、日本社会の中が、その閉鎖性のそしりを免れないが、
上品に成熟しているように思われる。

そういう事も、他と比較して、やっと気付く。





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