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NapoliとCapriの思い出 [Just a small talk]

https://youtu.be/j-AnO0NcrpQ

いつの事だかもう忘れてしまったが、
一度カプリ島へ行ったことがあった。
ナポリの港からフェリーに乗って。

空から見ればこの最初の写真のように、
とても美しい島で、私のお気に入り

その時は冬の季節であの憧れの
「青の洞窟」の中にははいれなかったが、
次回挑戦する場合は入れる可能性の一番高い7月か8月にしようと思う。

ナポリやカプリを題材の背景の一部にした古い映画
「September Affair」と言うのがある。
あの有名な曲「september song」はこの映画の中に出てくる。

往年の映画ファンならご存じだろう。

古い写真のファイルの中でこれらの写真が埋もれていたのを発見したので
YouTubeで、スライドショウにしてみた。


来日客を京都に案内する #1 その概略 [Just a small talk]

来日客を京都に案内する #1 その概略

京都は世界的に有名な人気のある観光都市。
玄関の京都駅前に立てば、外国人がウヨウヨしている。

仕事関係で訪日する客を過去には何度も京都には案内した。
その多くはオセアニアや東南アジア諸国からの来客だった。

私の場合は、一般客相手には、
朝から晩までの一日コースで京都の主要な所を回るのが定番。

京都の山奥の貴船で一泊するコースも複数回経験したが
それはいくつかの例外で、最重要客の為の特別コースだった。

通常朝一番に、大阪ホテル宿泊している客を拾って京都に車で走る。
客を接待するのも、仕事の内。 やるからには、好意を持ってやって来た。

京都観光は、京都駅前をスタートに、三十三間堂、清水寺
平安神宮、二条城金閣寺、龍安寺、仁和寺辺りで打ち切り。

嵐山や天竜寺や銀閣寺などへは、時間の関係でめったに行くことはなかった。
夕方の6時前後に京都を切り上げて、大阪へ戻り、
夕食は他のスタッフも交えて大阪でとるパターンが殆どだったから。

それでは順次、行先の内容を絡めて、
京都をよくご存知ない方の為にご紹介したいと思います。

















初夢とは [Just a small talk]

初夢とは、多分大みそかの夜か元旦の夜辺りに見る夢の事なのだろう。

年間を通して、日々睡眠不足だった私が、
久しぶりに睡眠を十分に取ると、夢を見た。
30日の未明のことだったから、
それは初夢ではないのかも知れない。

普通、夢を見ても、大抵はその記憶を長く保つことはない。
起きたらすぐに忘れてしまうのが殆どだ。
でも、昨日の夢は、その一部を何故かしっかり覚えている。

何が原因なのか分からないが、そんなこと現実にはあり得ない事だが、
何かに飛びつかれた。 それも、一匹や二匹ではなく、多数に一度に!

よく見ると、それはすべて「スズメ」ではないか!
多くのスズメが私の体に飛びついてきて、逃げようともしない。
何だか、訳の分からない夢だったが、
スズメの爪が私の体をしっかりつかんで痛く感じた感覚は鮮明。

こんな話はどうでもいいような事だが、
自分の見たい夢を自在に見る事は出来ない。

さて、あなたは、今夜辺りはどんな夢をご覧になるのか?
来年がいい新年であることを予兆出来るような夢を
見てみたいものですね!

それでは、よいお年を!!












タグ:初夢
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追憶 [Just a small talk]

人はそれまでの人生を振り返り、
懐古するようになれば、もうおしまい。

それから先の前向きな能動的な人生は
あまり期待できない。

若い頃は、誰しも過去を振り返ることはない。

人生が始まってまだ歴史がないというのも一つの現実だけど、
仮に歴史があったとしても
過去のことを懐かしんでいるヒマなどはないのだ。

だから、常に明日のこと将来のことにしか目が行かない。

明日にのみ道があり、
未来は可能性で満ち溢れている、
それが若い人々の特権だ。

ところが、いつの間にか青春時代も通り過ぎて、
ふと気が付けば、
それなりの年代になっている自分を発見する。

体は若い時のように言うことを聞かず、
体力は衰え、視力は低下し、記憶力も落ちて、
何かを成し遂げようとする気迫が失せてくる。

その頃の段階に入ってくると、
若い頃にあり得た
無限の可能性のようなものが視野から消えて、
自分の関心を自分の過去に求めるようになる日が来る。

過去を懐かしむ追憶に生きる日々が来るようになる。

そうなれば、
未来に向けての発展的展開を強い気持ちで望まなくなる。
その頃が、人生の一大転換期とも言えよう。

季節で表わせば晩秋前後の頃。
木々に葉っぱがまだ残っていても、
その色はもとの緑色ではなく黄色や赤などに変色していて、
もうもとの緑に帰ることはない。

一度限りの振り返れば短い人生。
そうして人生を振り返る頃になると、
頭の中に存在する主体は過去の記憶。

追憶が頭をもたげてくる。

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雑感 [Just a small talk]

森村誠一という作家がいる。

青学を出て、ホテルマンになり、
その後、執筆活動を始めたらしい。

江戸川乱歩賞、日本推理作家協会賞、
吉川英治文学賞などを取った作家らしい。

でも、俺は彼の作品を読んだことは一度もない。
彼だけが例外ではなく、大抵の日本の作家の作品は、
これまで読んだ記憶がない。

今回、ちょっとした直観で、彼のほやほやの出版物を手にした。
その題名は「60歳で小説家になる」である。 

読んでいると、彼と俺の間には、
いくつかの共通項があることに気付いた。

学生時代は成績の悪い劣等生だったけれど、
英語が得意で成績も良かったとのこと。
俺もまさにその典型だ。

仕事に関しては、匿名の仕事ではなく、
「俺が、俺が」という、自分の署名付の仕事がしたかった、と書いている。 
俺も、何を隠そう、まったく彼と同感だ。 
自分が埋もれる仕事ではなく、
自分が前に出る仕事、自分の署名を付けて、
その責任を負う仕事が自分には向いている。 
だから、輸出業で営業を長年している。

家内に言わせれば、俺は「目立ちたがり屋」だと言う。
俺は、目立つのが目的ではないから、
そういうつもりは全くないのだが、
自己主張が強い方だから、結果的に、傍目には目立つらしい。
自分の存在が周りに認識されることに、
嫌な気持ちは持たない。
むしろ、無意識の内に快感を覚えているのかもしれない。

そういう性質は幼い頃からあったのかもしれない。
小学校5年生の時には、
小学校の代表で読売TVのクイズ番組に出たこともある。 
だけど、本当は小心者で、口下手だから、
学級委員や議員などはしたくなかったけれど、
周りが許してくれなかった。
中学の時代にも、
仲間に押されていやいやながら立候補演説をした記憶があるが、
熱意のない下手な演説で運よくお役を逃れた記憶がある。
高校時代は、英語のクラブの部長で、
英語劇を講堂でやったことは記憶に残っている。
そういえば、合唱大会では、指揮棒を振ったこともあるが、
自分が間違い、クラスの皆に迷惑を掛けた嫌な記憶も忘れられない。 
何もできないのに、何故か目立っていた少年時代だった。
それと、歌が好きで、高校1年の時は朝日学生コーラスの一員だった。
夏の甲子園での高校野球の開会式には、甲子園で歌い、
東京オリンピックの時には、聖火が大阪に来た時には、
当時大阪の扇町にあった大阪プールで、
島倉千代子を迎え、聖火歓迎の会にも参加している。
また、恒例の12月の大阪フィルの演奏会の前座のそのまた前座で、
フェスティバル・ホールの舞台にも立った記憶がある。
その日は楽屋に朝比奈隆先生を訪ねサインをもらった。
まあそれらの例が示すように、何故か目立っていたようだ。

話はすこし逸れたが、
その手にした本を少し読み進むと
「会社で成功しない人が、小説家として成功する5つの理由」
というページに出くわす。

その第一、自己顕示欲が旺盛。俺はそれに該当する。
第二は、哲学的疑問が常にある。 
この項目に関しては、俺はすこし怪しい。
いつもあるとは限らないけど、無いことはない。
第三は、寄らば大樹の陰という発想を持たない。
俺はズバリ当てはまる。
第四は、人格的支配に反発している。
その趣旨がちょっと不明確だけど、
俺は人に支配されることを良しとしない。
第五は、会社の規格に合わず、
社会的に不適格な人間すらフィットする。
俺は、表面上は、必要な部分においては、
人と強調する能力はあるとは思うが、
そうすることは、俺が本来望むところではない。
お前はいつも好き勝手にやっている、
と言われたことがあるように、
自分が納得することを
自分の納得できる方法ですることを良しとする。
あまり既存の束縛にこだわらない。
むしろ脱線する傾向がある。
だけど、何をするにも、自分では、説明を求められれば、
堂々と明確に説明することができることを、
自信と確信をもってしている。 

だから、会社のルールはあまり重要視していないという意味では、
会社のはみ出し者なのだろう。
俺には連帯責任を持つという意識はない。 
チームワークもあまり重視しない。
だから、一般の没個性的な職場や立場では、仕事ができない。
そういう意味では、
森村氏の指摘する条件の多くが俺に当てはまるような、
そんな気がする。

でも、能力や素質があるとかないとかいうのは別の話かもしれない。
しかし、文章を書くことに抵抗がない。
自分が書く資格がある分野ならば、筆が自然に前に進む。
唯我独尊は俺の自然体そのもの。 
俺は世間の狭い世界に生息しているけれど、
ある意味では、好き勝手やっているので、
いわゆるストレスというものをあまり感じない。
ストレスの原因となるようなものは、
自分で排斥するからだ。

だけど、あくまでもサラリーマンだから、
実入りが悪く、人付き合いも悪い。
しかし本当の自分は底抜けの社交家で、話好きで、
気が合う人とはとてもお喋りだ。
自分の気に入らない人とは全く話すことも無いけれど。
その落差が大きい。

小説家というのはうまいこと書くもんだ。
森村氏は「青春」という言葉が好きだとのこと。
そういえば、俺は年齢上ではおじんそのものになっても、
人からは「若い」と言われる。
自分でも見かけはとても「若い」と思っている。

森村氏の何がうまいかと言うと、彼はこのように書いている:
「未来を見ている限り、今の時点の自分が一番若いのである。
過去を振り返れば、その時の自分が一番年老いている」 

その「若い」という感覚は、
俺が常に意識的に認識しているものである。 
気持ちが若いという事は、いろんなことに関心を持ち続け、
好奇心を保持しているということである。
好奇心旺盛な状態は、多方面に意識が働く。 
だから、未知の世界にも入って行くことができる。
それも、小説家として成り立つための大切な要素だろうと思う。 
一つの興味は、その先に興味を発展させることができる。
すべては興味を持つことから始まると言って過言ではないだろう。
そういう意味では、俺は自然体で、
作家の道入門適格者なのかもしれない。
何の制約もない自由な世界。俺の理想とする世界だ。

小説家デビューを果たすための7箇条の一つ目に
「毎日、日記に嘘を書く」とある。
俺は元来その嘘というものが好きではない。
だから、そう言われても、
努力してみようという気持ちは無い訳ではないけれど、
実際にそんなことが可能かどうか、かなり疑問だ。

事実をありのままに書くことは易しい。 
でも、あることないことをでっちあげる、
というのには少し自信が持てない。 
でもそれが是非とも必要な条件であるとすれば、
素直にその助言に従わざると得ない。 そこまではいい。 
それから先が問題だ。 

それから、三つめの「売れている小説は全部読む」。 
それも、かなり努力がいることだ。 
思いっきり気合を入れないと、なかなか出来そうにない。
いや、かなり不可能に近い。 

それから、その六つ目の「自伝は書かない。応募しない。」
これも、今の駆け出しの自分には、ハードルが高い。 
自分のことなら、自分が一番よく知っているので、書きやすい。 
頭の中に思うがままに書けばいいから。 
でも、それ以外のこととなると、
まず何を書けばいいのかその題材に困る。 
何をテーマにすればいいのか、その選択にはふと立ち止まる。
自分の関心事なら、
少しはそれまでの知識を活用することも可能かもしれない。 
でも、正直言って、俺の知識などはたかが知れている。
人様に披露できるような代物ではない。 
でも、自分の関心事でない事ならば、尚更その困難が付きまとう。
ましてや、人様に読んでもらえそうなことは書けないだろう。

人様に読んでもらうことがその主たる目的だとすると、
読後感がそれなりに評価に値するものでなければならない。 
果たして、俺にはそんなものを書くことができるのであろうか。 
かなり疑問が残る。 でも、とりあえずは、
やろうと決心したのだから、駒を前に進めなくてはならない。 






タグ:作家の条件

はじめてメールをした時に予感を感じたんです!!! [Just a small talk]

はじめてメールをした時に予感を感じたんです。」

このセリフを目にした時、ドキッとしましたね。 
予感なんて言うものは、理屈ではない。「感じるもの」ですから。 
だから、上手く説明できないのです。 
でも、体で、全身で感じさせられるもの。 

何か外的な要因がそこにあって、その影響を身をもって察知するもの。 
だから、受け取る側も、そうした微妙な兆候を
受け止められる感受性が必要なんです。 

他の人なら、他の要因なら感じることのないものを、その瞬間に感じる。 
その感じ方は電撃が走るような激しいものであるかもしれないし、
そうでない穏やかなものかも知れない。 
でも、何か違うもの、他とは異質なもので、自分の脳が刺激されるもの。
そんなことがあって、関心はそちらに方向付けられ、
心を奪われ、その心地よい束縛から逃避できなくなる。

「予感って信じますか?」

こう相手から問われると、
自分自身もそういう感受性の強い性質だから、「はい」と頷いてしまう。
 
相手に言葉に出して返事しなくても、既に自分の心の中では、
相手に無言で返事をしている自分がいる。 

そうなんですよね。 
私も相手と同じで「直感で行動するタイプ」なのですね。 
だから、波長が合うのでしょう。

「私は信じるタイプです。
どんなに順調なスタートを切ったランナーでも
必ず一番になれるとは限りません。 
なんだか人生ってマラソンみたいじゃないですか? 
人の一生も出会いもきっとはじまりはどうあれ
結果は自分自身で選んでいくものだと思います。 
この出会いを素敵な関係に発展させるかどうかはお互い次第。 
私は今日から始めたいと思っています。」と、
叩き込むように言われると、
もう既に出だしから相手のペースに乗せられている自分がいる。 

「へ~、すごいな~!」 と感心させられている、リードされっぱなしの自分。

相手はこのように自分を説明している:
 
「とにかく直感で行動するタイプです。 気まぐれなわけではなく、
気持ちが盛り上がったら突然誘ったりしますのでよろしくお願いします!」 
何だか、自分とそっくりな別人ではないか!  

人と人が仲良くなる為の大きな要因の一つに
「何かお互いに共通するものを持つ」ということが言われる。 

それは、以前にCameron Diazの
「There’s something about Mary.」と言う題の
映画の中でも描かれていた「似た者同士の感覚」。 

「Kindred spirits」= 「気の合った者同士」なのでしょうね。 

Cameronのセリフには:
The point is love isn’t about money or social standing or age.
It’s about 2 people connecting, having something in common.
You know, kindred spirits.

この映画のその点に関するテーマは、人類普遍的なテーマ。 
日本人にも他国のいろんな人々に普遍的に当てはまるテーマ。 

気の合う同士だから、お互いに話が合い会話が生まれる。 
似た者同士だから、会話も弾む。 
で、どうも人は生まれ持って、
相手とのその後の関係を無意識に察知する能力を持っているのだろう。 
あたかも相手の臭いを嗅ぐかのように、自分との相性を識別できる能力。

ドラマのような出会いでなくても素敵な関係には出来ますよね?」

相手は攻撃の言葉を止めようとしない。 まれに見る積極性。 
セリフはこのように続く:

「私は出来ると思います。
押しの強い女と思われるかも知れませんが、
事実「出会い」って全て偶然じゃないですか? 
もし偶然などでは無く私からメールが来た事が運命ならば
逆に必ず良い関係になれるはずですよ。 お返事お待ちしてますね。」

そういう風に、筋道立てて、論理的に攻められると、もう逃げ場がない。 
添付されている写真が魅力的であるが故に、
気持ちは一方的に掻き立てられる。 嬉しい悲鳴を上げるしかない。

でも、いつも不思議に思うのは、
こちらの情報は殆ど何も相手には伝わっていない筈なのに、
どうして、そんな乏しい情報をもとに、積極的になるのか、
私の頭の中では解釈不能だから、当然説明も出来ない。 

ただ只、「何で?」と疑問符のみが並ぶ。 

女には、そんな微少な情報から、
何かを動物的に嗅ぎつける能力があるとでも言うのか?
  
直観がそれ程に有効に作用するとでも言うのか?
  
あり得ない話が、あり得ない形で向こうからやって来る。 
そこには遠慮という気配は見えない。 
軍隊が靴音を立ててどんどん向こうから
行進してくるような感じに襲われている。 
ある意味、恐怖にも感じられる。

更に「どんな関係をご希望ですか?」と質問がぶつけられる。 

それの補足説明がこれまた憎い: 
「私はこれから考えていこうと思っています。
一方的な考えを押し付けるような関係では
きっと続かないと思いますし、
なにより楽しくなければ意味がありませんよね。 
二人で素敵な関係を作って行きたいのでまず出会いをしましょう。 
今日、これからスタートです。」

ああ、これで私はノック・アウト! 
完全にのっけから打ちのめされた! 
実に「お見事!」と感心するしかない。 

そんなにも上手く、
いきなり人の気持ちの中に「侵入」してきた人は、
今までに経験はない。 

人の名前は、覚えようと努力しても、なかなか覚えられないもの。 
覚えた尻から、すぐに忘れているのが常。 
でも、この方のお名前は、
無意識にいっぺんに記憶の中に刻印された。 

何だか、今日は得した気分。 
幸運の女神が私に微笑みかけてくれているような、嬉しい気分。 
こんないい日は、そうざらにあるものではない。










Dolby Theatre [Just a small talk]

https://www.youtube.com/watch?v=JaSkb8QFHak

あの有名なアカデミー賞の
授賞式の行われる会場が、
このDolby Theatre。

式の当日には
この階段に赤いカーペットが敷かれ、
その上を候補者の俳優達が華やかに歩く。 

写真は2階から撮したもの。 

意外と小さな階段だった!

その横手にあるTCL チャイニーズ・シアター
説明書によると、1927年に、劇場王と言われた
Sid Graumanという人が造らせた、
世界で最も有名な映画館とのこと。

有名なのは、その前庭の敷石に残された、
スターたちの手形や足型。

その映像は別途アップしたいと思います。





The world is NOT full of interesting things. [Just a small talk]

Just as the world is not composed of
the handsome and beauties only,
the world is NOT made up of interesting things only.
You would rather find lots of less interesting things.
It is the fact that trifling matters or boring things are
overwhelmingly in abundance.

Just as every food cannot be delicious,
terrible foods are plentiful.
Even if the same stuffs are used to cook something,
the outcome of finish depends entirely
on how it was cooked.
If the person who cooks it is different,
its outcome should be naturally a different one.

However, unless you actually experience
such trifling matters or terrible foods,
you will be unable to notice such boring things
as boring or bad dishes as bad.
The recognition of bad things by experience
will make it possible to recognize something good
by its comparison.

Because you have ever tried terrible dishes,
you can see delicious ones as delicious.
To the effect that you are to know something
opposite in its value, it will be essential to experience
something worthless or something unpleasant
to your tongue or to your taste.

Just as things are as such in this world,
on people too, not all people are attractive.
Rather, majority people are not so charming
enough to attract other people.
By keeping company with other people
of diverse genre, and by comparing with others,
its difference will be known.

In the general Japanese society,
unless your behavior or conduct is of similar kind
with that of your fellow people that will make
the majority of the group, you will not be accepted
as a member of the group.

If you behave or say something quite different
from other members, you will be rejected.
So, as long as you live as a member of the society,
whether it is at your work place or at school
or at regional place, if you are an obviously
different existence in the society,
you will be excluded or bullied.

So, it could be something you need to be very brave
to speak amiss improper to the situation.
It is the Japanese method to speak in harmony
with other members to find a place there
among other people.
Ours is such a closed society that does not
tolerate heterodoxy.

I understand that in the western societies,
it is said that you are not qualified to join the meeting
for discussion or debate as long as you have nothing
special to insist which is different from the opinion
of other attendants.

Our society is quite opposite to it.
It is understood that it's normal
to refrain from speaking something
quite different from others.

If we have different ideas or opinions,
such story will be spoken secretly among
the limited people of close relationship.
So, the true story will not be spoken openly
in front of others of the whole.

Actually, we do not have a habit to make
a violent debate with other people and we are
not accustomed to it except the people who make it
their business to make a speech in the public
such as politicians and school teachers and others.

Because we do not have a custom
to hold a private party at home, etc.,
we are short of practice to welcome guests properly.
What we can do are limited to business-related talks
or the like or other small talks that has no importance at all.

I don't know people who are purposely making efforts
to polish oneself to prepare in anticipation of
such situation when needed to be ready to handle
whatever talks with whatever kind of people.

I doubt if people are really conscious of its necessity
to get ready to make a diplomatic conduct with words.

I personally feel it necessary especially when it comes to
the case to speak in a foreign language with overseas people.

Being unconscious of its necessity, Japanese look to have
been poor as to the diplomatic skill especially with overseas
nations.

Sociability and diplomacy would need the faculty based on
real cultivation. It is not a matter of simply language
and the difference of habits and culture, etc.
But, language should be playing a major role to make you
understood more and to provide better impression.

日本人をバイリンガルにする方法

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