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異質なものを認める能力 [それぞれに文化が違うのは、お互い様]

「異質なものを認める能力」と言っても、
何でもかんでもOKという訳にはいかないでしょう。
関係する相手のことを尊重する、
相手の、自分にとっては異質な文化を尊重するという事は、
それは決して一方通行ではなく、お互い様ですね。
相手を尊敬するから、相手からも相応に尊重される。
そんなものなのでしょう。

礼儀上、形の上であたかも尊重しているかのごとく、
表面上振る舞うのではなく、
本当にその気持ちがあって、
心から実際に尊重できなければ、
あまり意味がありません。

誰しも何度か過去に経験があると、思いますが、
こちらの気持ちは、相手に容易く伝わるものです。
「以心伝心」とい言葉があるように、
こちらが相手をよく思えば、
相手もこちらのことを悪く思わないのです。
その逆もまたしかり。

だからと言っても、お互いが知らないどうしの間柄では、
最初からすぐに何もかも相手のことが分かる訳ではありませんので、
まず必要なことは、相手をより多く理解できるよう努めることでしょう。
それは、相手が誰であっても同じことですが、
文化背景の違う相手の場合は、
その特定の文化に関する正確な予備知識などがなければ、
理解に至るのに、ちょっと多くの時間がかかるのも無理有りません。

事実や客観的な現実をきちんと理解出来なければ、
認めるも、認めないもないでしょうね。
いいことはいいこととして、
自分の好き嫌いなどの主観は横に置いて、
客観的に見て価値あるものや事柄には、
理解を示すという姿勢が必要ですね。

価値観がまったく異質な相手の場合は、
ちょっと当惑させられるということが不可避の場合があるかも。
どういう人間関係でも同じように、
相手のよい所を発見するのには、
むしろ積極的になりたいもの。

お互いに、社会的背景も文化的背景も、
人類の種類においても違う間柄ならば、
いろいろ違って当たり前。
相手の良い所を見つけてほめるという習慣は持ちたいもの。
また、自分はこうなんだと、自己の文化との違いも披露してもいい。
違いがあるということは、どちらが良くて、どちらが悪いという、
そんな性質のものではありません。
ただ、ところ変われば、品変わると言われるように、
文化が異質なだけなのです。

まずは基本として、相手を寛大に受け入れるという姿勢があれば、
気持ちの上で、余裕をもって相手に接することができる。
そんな寛大さを持ちたいですね。


同じ人種で、同じ社会に生息し、同じ文化的背景があるからといっても、
その同じ共同体の中でも、
皆が皆、何事においても皆同じでなければならないというのは、
少し話が違いますね。

例えば、制服組と呼ばれる、皆が同じ制服を着る自衛隊や軍隊の如く、
命令系統が、頭から末端まで統一されるような存在は極例外的なもの。
そのような特例は、一般の基準にはなり得ない。 
無条件に付和雷同するのは愚かな印。
右向け右と言われても、
何らそれ相当の理由もなく右向くのもいかがなものか。

共同体とは、まず尊重されるべき各個人がいて、
それらの個人が集まって、
その結果として出来上がった集合体であって、
共同体があらかじめ決められた枠組みの如く、
最初からあるものではない。
いくらルール作りだからと言っても、
具体的に説得力に欠ける不必要な縛りは頂けません。
説明を求められて、まともな説明に窮するようでは、
誠にお粗末です。

ルールは関係者の共通の利益と賢明な認識に基ずき、
必要最小限にとどめておくべきでしょう。
蛇足のような不必要なルールの為のルールのような、
そんな本末転倒は無意味でしょう。
やはり、何事にもそのraison d'etreがあり、
その「理由なきは意味なき」という原則を無視できないでしょう。

世界を知るための、第一番目のルール。 それは:



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